とんでもない、「危ない境地」にいる。
木村敏という名前に遭遇してみると、
「やられたな」と思わされるー。
「厄介なんだな」と。
「あいだ」とかね(笑)。
私に「言わせてみたいぞ」と言うような、
私に対して、「分析しなさんな」と言う
顔が、本につけた題名からも分かる。
「私に似せた知能が、生み出すsubject」
なるものを突き付け、なるほどなと…。
あたかも「前世から知り合いなのか」とか、
私に「お前さんは、誰になりたいのかな」と
言われてしまいかねない微妙な世界を見せた。
この本は、私の
12歳の頃に初版で、何かを「見過ごした」
ような黄昏を感じる。早く読みたかった!
人間は、「歩きたい場所を歩いている」
はずなんだ。しかし、歩かされてない時に
「歩いたふり」や、「知ってるふり」が
ある。「未知」には繋がらないから、常に
「知ってるつもり」や、「分かるふり」が
ある。そのふりを見ていて「野暮な逸話」
だとか、
「決まりきった挨拶」を知らない人間に
遭遇し、精神科の患者を見ることになる。
そのドラマは、実は
「無いものを在るかのように表現」する
人々が、「主人公ではないふり」をする。
「実は狂ってる」ことをアピールするし、
「実は大嘘つきである」ことを恥じては
いないし、「みっともない恥さらし」には
繋がらないふりもある。かなりな汚点やら
「過失」や、「障害者であること」の誇示
というものと。
精神科には、「くだらない狂言」がある。
「たいしたことはないこと」とした嘘や、
「罪があるアピール」に夢中な人々の愛嬌と。
「異常であること」は、「不束」なことや
「方便によるドラマ」で存在したかのような
「言い訳したい内容証明」や「捏造してる」
現実回避と。
そこでは、「異常に見せない芝居」もある。
だから、面白いよね…って。異常を見破る
仕事や、精神医学は「dramatic」だよね。
ー説明ー
🖋️内容紹介
精神異常の世界では、「正常」な人間が、
ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。
「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より
🖋️著者について 「木村敏」
1931年、外地に生まれる。
1955年、京都大学医学部卒業。現在、河合文化教育研究所主任研究員。道元禅や西田哲学を精神医学にとりいれ、独自の人間学を提起して注目されている。著書に、『自覚の精神病理』――紀伊国屋書店、『時間と自己』中公新書、『人と人との間』『分裂病の現象学』――弘文堂、『偶然性の精神病理』――岩波書店――などがある。
「異常精神」とは、「異なる非常識」の
寄せ集めになる。「当たり前の常識」が
機能しない、させない、分からない人々の
普通ではない、「容易く表現出来る」狂言
だけの、逸話を集めた非常識界であり、
哲学だの、心理学に繋がるふりもあるし
知らないから「関係ないよ」というポーズ
により、その世界とは「知恵遅れ」だよと
アピールでしかない彼ら、彼女たちの物語。
それを分析、解析するならば、「間」には
見えるような錯覚がある。見た目に存在を
していないかのような「デモ隊」みたいに、
「どこにでも馳せ参じる」が、居なくても
居ても、仲間以外には知られてない役割や
その他大勢な、タレントぶりがある。
「精神異常」には、異常である同形思考と、
「異常か異常でないかを分からない」顔と
しか繋がらない世俗や、新興的団体活動が
ある。分かりやすい「無分別なる人」たち。
木村敏という名前から、見つけた知的財産
にも成りかねない本の題名は、読まずに
「ありがたき良識」と、「人間らしさ」
への扉に成りました。
たった1日で
訳知りに、木村敏先生の厄介さを
私は知った気になりましたとさ(笑)。
人間、長生きすると厄介な「異常構造」
には造詣出来る、ということらしい。
造詣が深く、深く成りましたとさ。
多摩ニュータウンの「精神病」の顔や
人々から、私は知的財産を増やしてく…。
増えすぎるわ。
✍️鈴木霄でした…

にほんブログ村
木村敏という名前に遭遇してみると、
「やられたな」と思わされるー。
「厄介なんだな」と。
「あいだ」とかね(笑)。
私に「言わせてみたいぞ」と言うような、
私に対して、「分析しなさんな」と言う
顔が、本につけた題名からも分かる。
「私に似せた知能が、生み出すsubject」
なるものを突き付け、なるほどなと…。
あたかも「前世から知り合いなのか」とか、
私に「お前さんは、誰になりたいのかな」と
言われてしまいかねない微妙な世界を見せた。
この本は、私の
12歳の頃に初版で、何かを「見過ごした」
ような黄昏を感じる。早く読みたかった!
人間は、「歩きたい場所を歩いている」
はずなんだ。しかし、歩かされてない時に
「歩いたふり」や、「知ってるふり」が
ある。「未知」には繋がらないから、常に
「知ってるつもり」や、「分かるふり」が
ある。そのふりを見ていて「野暮な逸話」
だとか、
「決まりきった挨拶」を知らない人間に
遭遇し、精神科の患者を見ることになる。
そのドラマは、実は
「無いものを在るかのように表現」する
人々が、「主人公ではないふり」をする。
「実は狂ってる」ことをアピールするし、
「実は大嘘つきである」ことを恥じては
いないし、「みっともない恥さらし」には
繋がらないふりもある。かなりな汚点やら
「過失」や、「障害者であること」の誇示
というものと。
精神科には、「くだらない狂言」がある。
「たいしたことはないこと」とした嘘や、
「罪があるアピール」に夢中な人々の愛嬌と。
「異常であること」は、「不束」なことや
「方便によるドラマ」で存在したかのような
「言い訳したい内容証明」や「捏造してる」
現実回避と。
そこでは、「異常に見せない芝居」もある。
だから、面白いよね…って。異常を見破る
仕事や、精神医学は「dramatic」だよね。
ー説明ー
🖋️内容紹介
精神異常の世界では、「正常」な人間が、
ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。
「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より
🖋️著者について 「木村敏」
1931年、外地に生まれる。
1955年、京都大学医学部卒業。現在、河合文化教育研究所主任研究員。道元禅や西田哲学を精神医学にとりいれ、独自の人間学を提起して注目されている。著書に、『自覚の精神病理』――紀伊国屋書店、『時間と自己』中公新書、『人と人との間』『分裂病の現象学』――弘文堂、『偶然性の精神病理』――岩波書店――などがある。
「異常精神」とは、「異なる非常識」の
寄せ集めになる。「当たり前の常識」が
機能しない、させない、分からない人々の
普通ではない、「容易く表現出来る」狂言
だけの、逸話を集めた非常識界であり、
哲学だの、心理学に繋がるふりもあるし
知らないから「関係ないよ」というポーズ
により、その世界とは「知恵遅れ」だよと
アピールでしかない彼ら、彼女たちの物語。
それを分析、解析するならば、「間」には
見えるような錯覚がある。見た目に存在を
していないかのような「デモ隊」みたいに、
「どこにでも馳せ参じる」が、居なくても
居ても、仲間以外には知られてない役割や
その他大勢な、タレントぶりがある。
「精神異常」には、異常である同形思考と、
「異常か異常でないかを分からない」顔と
しか繋がらない世俗や、新興的団体活動が
ある。分かりやすい「無分別なる人」たち。
木村敏という名前から、見つけた知的財産
にも成りかねない本の題名は、読まずに
「ありがたき良識」と、「人間らしさ」
への扉に成りました。
たった1日で
訳知りに、木村敏先生の厄介さを
私は知った気になりましたとさ(笑)。
人間、長生きすると厄介な「異常構造」
には造詣出来る、ということらしい。
造詣が深く、深く成りましたとさ。
多摩ニュータウンの「精神病」の顔や
人々から、私は知的財産を増やしてく…。
増えすぎるわ。
✍️鈴木霄でした…

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