「千杼」な365 days

乳癌から18年 ―Blog 365 days―

タグ:精神科

とんでもない、「危ない境地」にいる。

木村敏という名前に遭遇してみると、
「やられたな」と思わされるー。


「厄介なんだな」と。

「あいだ」とかね(笑)。


私に「言わせてみたいぞ」と言うような、
私に対して、「分析しなさんな」と言う
顔が、本につけた題名からも分かる。

「私に似せた知能が、生み出すsubject」
なるものを突き付け、なるほどなと…。


あたかも「前世から知り合いなのか」とか、
私に「お前さんは、誰になりたいのかな」と
言われてしまいかねない微妙な世界を見せた。










この本は、私の
12歳の頃に初版で、何かを「見過ごした」
ような黄昏を感じる。早く読みたかった!


人間は、「歩きたい場所を歩いている」
はずなんだ。しかし、歩かされてない時に

「歩いたふり」や、「知ってるふり」が
ある。「未知」には繋がらないから、常に


「知ってるつもり」や、「分かるふり」が
ある。そのふりを見ていて「野暮な逸話」
だとか、

「決まりきった挨拶」を知らない人間に
遭遇し、精神科の患者を見ることになる。


そのドラマは、実は
「無いものを在るかのように表現」する
人々が、「主人公ではないふり」をする。

「実は狂ってる」ことをアピールするし、
「実は大嘘つきである」ことを恥じては
いないし、「みっともない恥さらし」には
繋がらないふりもある。かなりな汚点やら

「過失」や、「障害者であること」の誇示
というものと。


精神科には、「くだらない狂言」がある。
「たいしたことはないこと」とした嘘や、
「罪があるアピール」に夢中な人々の愛嬌と。


「異常であること」は、「不束」なことや
「方便によるドラマ」で存在したかのような
「言い訳したい内容証明」や「捏造してる」
現実回避と。

そこでは、「異常に見せない芝居」もある。
だから、面白いよね…って。異常を見破る
仕事や、精神医学は「dramatic」だよね。






ー説明ー

🖋️内容紹介

精神異常の世界では、「正常」な人間が、
ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。

「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より


🖋️著者について 「木村敏」

1931年、外地に生まれる。
1955年、京都大学医学部卒業。現在、河合文化教育研究所主任研究員。道元禅や西田哲学を精神医学にとりいれ、独自の人間学を提起して注目されている。著書に、『自覚の精神病理』――紀伊国屋書店、『時間と自己』中公新書、『人と人との間』『分裂病の現象学』――弘文堂、『偶然性の精神病理』――岩波書店――などがある。













あいだ (ちくま学芸文庫)
木村 敏
筑摩書房
2005-09-01






「異常精神」とは、「異なる非常識」の
寄せ集めになる。「当たり前の常識」が

機能しない、させない、分からない人々の
普通ではない、「容易く表現出来る」狂言
だけの、逸話を集めた非常識界であり、


哲学だの、心理学に繋がるふりもあるし
知らないから「関係ないよ」というポーズ
により、その世界とは「知恵遅れ」だよと
アピールでしかない彼ら、彼女たちの物語。


それを分析、解析するならば、「間」には
見えるような錯覚がある。見た目に存在を
していないかのような「デモ隊」みたいに、

「どこにでも馳せ参じる」が、居なくても
居ても、仲間以外には知られてない役割や
その他大勢な、タレントぶりがある。


「精神異常」には、異常である同形思考と、
「異常か異常でないかを分からない」顔と
しか繋がらない世俗や、新興的団体活動が
ある。分かりやすい「無分別なる人」たち。


木村敏という名前から、見つけた知的財産
にも成りかねない本の題名は、読まずに
「ありがたき良識」と、「人間らしさ」
への扉に成りました。


たった1日で
訳知りに、木村敏先生の厄介さを
私は知った気になりましたとさ(笑)。


人間、長生きすると厄介な「異常構造」
には造詣出来る、ということらしい。

造詣が深く、深く成りましたとさ。


多摩ニュータウンの「精神病」の顔や
人々から、私は知的財産を増やしてく…。

増えすぎるわ。



✍️鈴木霄でした…


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✒️ “りびんぐ-すけーぷ” より転記



『後ろの正面、だあれ?』という遊び!?


“みんな” の本音や、“顔” に、嘘や “演技” が
あると、そこでは笑いが起きる遊び…。


『後ろの正面、だあれ?』という遊び。
『だるまさんが転んだ』は、鬼が

壁や木に顔を伏せて、パッと後ろを振り返り
みんなを見て、動いたり姿を変えたりする、
立ち姿勢から、体をゆすったり揺らしたり

微動にも顔を変えたりしたら、鬼がそれを
見つけたなら、バレて捕まるという遊び。

最後は、鬼に手を捕まれる…という遊び…。


簡単に言えば、
嘘をつく人では、被害者は背中向きにいる
かも知れないのに。加害者では前にも後ろ
にも、弱虫は、特に前に出れないんだよね。


嘘をつかない人では、背後から誰かが
嘘つきが近づいてくる、イタズラをする
かも知れない、ということが人間社会には、

日常では、起きやすいかも知れないんだ。


発達障害があると、そんな悪さをする人や
からかいや、嫌がらせをやるかも知れない。


精神疾患では、『後ろの正面、だあれ?』
なんて遊びは、やりにくいゲームだよね。


『ありがとう』は、前を向かなきゃ
言えないけど…。後ろの人にも人間が
『ありがとうね』と、言うことはある。



ところが、精神疾患があると
イタズラはするが、『ありがとう』が
言えなくなることがある。言葉にある
お洒落だよ。背中向きに『ごめん』とか、

後ろの人には、『ありがと!』とか言う
ことがあるんだ。優しいということには
お洒落があるんだ。見えない、人知れず

『どういたしまして』という人間の心が
優しい人たちには、あるんだよ。


このゲームは、“地獄の閻魔さま” みたいだ。
『後ろの正面、だあれ?』というのは、

見えない場所にいて、隠れながら悪さをし
嘘をつき、ずるいことを “閻魔さま” には
バレてしまうのさ、というイメージだね。


誰からも見えないから、誰からも名前や
家が分からないから、悪事を働いている、
そんな病気が、精神疾患では発生しやすい。


『後ろの正面、だあれ?』では、鬼が

隠れて悪事を働くずるいヤツを、見破るか
否か、なんだね。神様みたいに見破れるか
どうか、のゲームみたいなもんなんだね?


『罪がある』という隠し事や、『偽った』
人たちや、『卑劣な行為』をした人間が

不都合がある、『恥ずかしくて前に出れない』
という場合に、『後ろの正面、だあれ?』と
神様から見抜かれている、というようなこと。


見えない、気づかれない、バレないから
悪事を働く、名前がバレないから、体が
見えないから、顔が知られてないから

『バレないからやる』という心や脳の
病気の人たち。何をしているのかも自ら
分からないふりや、おトボケしたずるさ
やら、人間らしくない “いかれポンチ”の
アピールが、過剰な厄介者でもあるよね。


精神疾患は、そんな病気の中で嘘をついたり
インチキをしたり、弱虫な知能がやる狂気の
病気のゲームみたいなもんなんだね?


『精神病質』、サイコパスという病気が
罪を重ねないように、解離性障害による
多重人格で、犯罪者のふりやデタラメで

嘘や、インチキな警察の嘘つきや偽物を
作らないように。悪魔の代わりに天使の
ふりをしないように、


神様に繋がるような精神科医が、
罪や狂言があるデタラメなる犯人の芝居や、
病気を見抜けるように、精神科医は働いて!


だから、罪があると精神科医にかかれない、
精神病院にかからない、という嘘つきが
増えちゃうんだよね。サイコパスが…。


インチキは、3問の問いかけだけで
バレてしまうのだと(聞かれたら悩む?)。


『名前を教えて!』と聞かれて
嘘をついたり、名乗れない人では

『犯罪者の役をしてきた』アピールをし、
『デタラメをやってきたから話したくない』
そうですよ。


花粉症のふりした、マスクの犯罪者は?
『売りたい自分』を、違う誰かに成り済まし

『悪い人間だから、静かに生きている』と
いうポーズがあり、罪があるから名前だけ
違うふり、があるそうだ。


精神疾患では、意外と罰がある人の方が
バレやすい、簡単にバレているんだよね。

『後ろの正面、だあれ?』と言われたら、
『自分じゃないよ』とか、『俺じゃない』
とか、『見るなよ』というヤツ。


悪い人間は、『見抜かれたい』のかな?
『探られたくない犯罪者』ごっこなの?


散歩している人に、『何で来たんだ?』
と言いがかりつけてくる精神障害者では、

犯罪をしていた、かつて貴女にひどい行為
をし、悪さをしたので恥ずかしい、という
感じになりいきり立つストーカーも居る。


私を待ち伏せして、私につきまとって。
歩いていて、たまたま通りがかった家で

私に家がバレて、慌てた精神障害者。
焦りましたが。私に自ら『見にきたな』と
怒り狂い、慌てて焦っていた痴漢がいた!


たまたま道で、家の前で私が歩いていたら
外で、私に見つかって焦って吠えていた
痴漢ぶりが、市内に居た。

いきなり私に吠えたから、言いがかりつけて
きたから犯罪行為をして暮らしてきた男だと
分かるよね。後ろの正面にいた犯罪者が?

道で私に見つかって、吠えてるのは自分が
犯罪者だから、というアピールでしかない。

精神障害者の世界観は、不都合に吠える?



『病気になりたくない人』が、病気を
気にして、病院にかかり『病気のはず』
だと思い込む時、精神科医でない場合は

『思い込む人だな』と思うけど。ほんとは
もしかしたら、ほんとに体の病気かも知れ
ないんだよね。病気を見抜けない医学者が
分からないとかね。


だから、『後ろの正面、だあれ?』という
ことが、精神疾患ではなく、肉体の疾患や
病気が隠れている可能性があるので、

人間は、あんまり嘘をつかない方がいい。


『ほんとのこと』を見過ごさないように、
『病気』や『事件』のことを誤魔化さない
ように、人間は『自分について』きちんと
分かる方がいい。治療する為に正直でいて!












“精神科医はそのときどう考えるか”
ケースからひもとく診療のプロセス

著:兼本 浩祐

判型 A5
頁 182
発行 2018年06月
定価 3,672円 (本体3,400円+税8%)
*ISBN978-4-260-03612-2



これぞ精神科のリアル・ワールド!

豊富な症例提示を通して精神科医が身につけるべき思考プロセスや臨床上の着眼点について解説し、その中に精神医療・精神医学に関する著者のフィロソフィーを盛り込んだ1冊。精神科全般に精通する臨床家として有名な著者の長年の臨床経験を凝縮した、ライフワーク的な著作と内容は、精神医学の初学者からベテランまで、どのレベルの読者が読んでも得るところがあるであろう。



✒️序文

はじめに

 総合病院で働いていて他科のお医者さんから言われることを聞いていると,精神科医の業務は誤解されているのではないかと思うことが時々あります。「他科と比べて楽である」「誰でも訓練なくできる」「悩みを延々と聞いていると具合が悪くならないか」「精神科医は冷たい」など,直接言われることもあれば,間接的に人伝えにそんな疑問が伝わってくることもあります。実際には精神科医は体を診る普通のお医者さんと同じ業務を行うところもあれば,少し違うところもあって,精神科医自身が修養の過程で自分は本当にプロフェッショナルとして世に立っていると言っていいのだろうかと少なからず自問自答する時期があるのですが,それでもやはり他科と同じように先輩から薫陶を受け,一定の訓練を経なければ一人前になれないプロフェッショナルな職業の1つだと,私は今では思っています.


2018年4月
 長久手にて 兼本浩祐





✒️目次


🖊️第1章 心と脳の境界線を引く

 1つの初診例からまず考えてみる
 脳との距離感から心の問題を3つの階層に分ける
 鑑別診断と類型診断
 心因性の疾患は「診断」が可能か


🖊️第2章 「主訴」を探る,「主訴」を決める

 治療者とユーザーの「主訴」がずれる場合
 本当の主訴がまずは否認される場合
 精神科という奇妙なお店
 共同作業の中で「主訴」を形にする


🖊️第3章 枠組みをつくる,距離をとる

 どのくらい来てもらい,どのくらい話してもらうか
 どんな時にそれ以上の通院を断るか
 受け入れに精神科特有の覚悟が必要となる場合―身体合併症
 受け入れに精神科特有の覚悟が必要となる場合―暴力


🖊️第4章 人権を制限する

 精神科医にとって心理的負担になる強制治療とそうでない強制治療
 精神科医が強制治療に前のめりになる事例
 電気けいれん療法
 精神科医が強制治療に二の足を踏む事例


🖊️第5章 心を覆う・覆いをとる,浅く診察する・深く診察する

 心を覆う手だすけをする
 覆いがとれることが避けられなかった事例
 事例化のタイミングと臨床心理士さんとの連携
 寄り添うということと路傍の石のような精神科医の立ち位置


🖊️第6章 精神科医の寝技と立ち技

 寝技と立ち技
 一歩進んだ立ち技
 寝技のルール
 心理カウンセリングと認知行動療法



◾付録 小精神薬理学

 ▫️1 神経細胞の成り立ちとシナプス
 ▫️2 神経細胞の電気的興奮の仕組み
 ▫️3 イオンチャンネルと抗てんかん薬
 ▫️4 神経伝達物質

 ▫️5 ドーパミン神経系と抗幻覚妄想薬
  5-1 定型薬
  5-2 部分アゴニスト
  5-3 非定型抗精神病薬

 ▫️6 抗うつ薬
  6-1 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)
  6-2 選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)
  6-3 ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬(NaSSA)
  6-4 三環系抗うつ薬(TCA)

 ▫️7 抗不安薬
  7-1 ベンゾジアゼピン系薬剤
  7-2 SSRI

◾索引



📑COLUMN

 1 摂食障害
 2 意識障害を記載する精神科用語
 3 解離性障害
 4 4大認知症
 5 一級症状
 6 内因性精神疾患と遺伝子
 7 妄想知覚
 8 評価尺度
 9 双極II型障害
 10 精神保健福祉法
 11 DSM
 12 自閉症スペクトラム障害
 13 エビデンス
 14 操作的診断
 15 認知行動療法







=追記=


今から、37年前の夏。
北海道にいた父親に会いに出かけた。

西城秀樹さんの、札幌厚生年金会館での
夏のコンサートで、札幌にいた父に私が
チケットを取ってもらった、その札幌で
体験したことだが。


そのコンサートの時に、帰りに会場前で
タクシーをひろった。乗り込んだ車は父に
繋がるタクシー会社ではなかった。父には
父が懇意にしていたタクシー会社があって、

私が札幌厚生年金会館前から乗り込んだ
タクシーの運転手は、地元のドライバー
ではなく、何やら荒くれ者に見えた。


その男、その時から雰囲気を記憶したが。
多摩市に居住していて気づいたのだが…。

市内で、地域で度々見かけた精神障害者に
似ているのであり、ニヤリと笑う目がその
タクシードライバーに似ていた。


当たり屋をしていた男。そのドライバーに
似た目をし、雰囲気やら見た目が、非常に
似通っていた。ニヤニヤ笑う目付き。


そのタクシードライバー、私が宿泊していた
ホテルとはまるで正反対の方向に車を走らせ、
怪しく危険を感じた。短パンを履いていた、
運転席の印象から、遠回りをしていた為に

不安を感じ、タクシーを停めてくれ、と言い
私はタクシーを降りた。犯罪の匂いがした!


その時のドライバーに、市内にいた
当たり屋が、雰囲気が似ていた。度々、
私の外出先や病院に現れた。不気味だ。

その男は、医療機関に度々現れた顔だ!


そうした勘は、私が犯罪者を見抜く父の
気質によるところが大きい。霊気や資質、
何か魂から放たれる気から、精神疾患を
感知した。多摩市で体験したことである…。


『だるまさんが転んだ』は、
後ろの正面に何気に現れる、犯罪者の目、
犯罪者が備えた気質を露にする遊びである。


『後ろの正面、だあれ?』は、犯罪者には
犯罪者の空気がある、ということである…。


インターネットストーカーは、平成14年に
精神障害者として、私に近づいてきた存在。


精神科に通っていた人間であり、狂言と
記憶障害と、当たり屋生活に勤しむニセ
医学者でした。狂言と、恐喝とつきまとい、
嫌がらせ、意図とした固執したつきまとい。

それらは、己を持たない人間による虚勢、
自意識が維持されてない場所での世界。


精神障害者による援助交際をする世界観は、

発達障害では、それを公務であるかのような
表現がある。『公』とした共産党にいる姿
らしきポジションを、誇示している様が…。


公務、ハムと呼ばれたり、ハウと言われて
いる人たちが、明らかに私とは違う育ち方、
生き方、環境にいてYouTubeに出演したり、

顔や姿をヤラセに使われてきた無名である
精神障害者。それを、公的に優位である顔
とした、メディアやマスメディアに繋がり、

仕事の代わりに庇護され、活躍の場である
『エキストラ』とした仕事ぶりがある顔。


認知症や発達障害や精神障害でサポートを
受けているグループ。そこでは狂言による
詐欺や、多重生活や演技性パーソナリティ
障害者によるバーチャル化した闇がある!



50年間、犯罪をやり続けてきたような
人間でも、知的障害や発達障害だからと、
留置場に入らない、肉親や関係者が警察や
弁護士だから、と刑務につかないでいる顔。

精神疾患であることを理由に庇護される、
保護され、被害者が被疑者扱いされてる
異常さは、

日本の法律が、犯罪者に優位に機能して
きたかのような闇が見え隠れする。


罪をも犯して、隠蔽に狂言を繰り返す人間。

イジメが、罪を隠蔽する目的に利用され、
精神障害者の自由や利己の為に、他人の
自制や、被害者の忍耐が要求されてる様は

被害者は所詮、精神障害者でない、という
答えでしかない。罪をも隠蔽出来る人々が
精神障害という名前の元に、庇護されてる
理不尽さに、多くの被害者が泣き寝入りだ。


精神疾患であることは、自分ではない人、
自分ではない存在になりたい人たちの声、
インチキへの扉のようでもある。



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