「千杼」な365 days

乳癌から18年 ―Blog 365 days―

タグ:人間

彼らは、人間であることを
放棄した。パワハラをやり、

精神病院にいるように暮らす。

本名を分からなくなり声をだした
犯人は、弱虫のふりをし死んだ役


お父さんやお母さんの罪を
アピールした病気の男は弱虫


お母さんから生まれたことを
喜べない病気の息子が、病んだ
アピールをしに出かける場所は
叫ぶ仲間に会いに行くだけだ!



あなたの本名は?

彼は知能と声が
一致しない犯罪者だった


あなたの名前は誰?

あなたのお誕生日は?
聞かれた犯人は、男の声をし

罪がある顔で名前が言えない


あなたのお父さんは誰?
あなたのお母さんは誰?

あなたの身長は何センチ?
あなたの血液型は?


声が出せた男は
自分のことを見えないふりを
して、声がだせたが中身には
繋がっていなかったらしい箱


あなたは何歳ですか?

答えられない病気で
生きてないふりは声が出せた犯人


罪がある男は
死んでるふりした弱虫

生年月日が言えない犯人は
男の顔。男の体。ずるい血


弱虫な声は
仲間の名前を言わない

弱虫な男は、名前がない家庭に
帰る。歩きたがらない偽名の声


意地悪な人間に扮したり、
犯罪者に似せたふりをした男は

お母さんに、お誕生日を祝って
もらえないアピール。嫌いな顔、
嫌いな体、嫌いな名前。いつも
愛されてない家から出かけてる
場所は、愛されたくない男の居場所


お母さんが作ってくれないご飯

お母さんが好きじゃない名前は
男の声が聞こえる場所。名前を
喜べない家が待つ場所に居ない
ふり。罪を持つから居ない役?


正直に生きれない弱虫なふりは
生まれたことを嫌いな顔。体が
発散したがる罪の言い訳は声に
消してもらう体の場所


偽名な彼は犯人のふり

偽名な彼は
弱虫の役で生きれない声


仮面をかぶった偽名の家が
彼のほんとを嫌う家庭の扉?


犯人のふりは帰るよ
いつも、生まれたことを
喜べない、嘘ばかり言い

罪を重ねた声で、帰るよ。
トイレに入るし、お風呂にも
入る。本名を言わない弱虫も


犯人に似たいと名前が無いふり。

帰るよ、毎日毎日おんなじ玄関
開けて入るよ。毎日おんなじ家

彼は帰るよ、嘘ばかり言い
嘘ばかり話す家族の場所に
逃げてきた現実に、ほんとの
家庭に、弱虫が帰っていくよ

精神病院のふりしたまま。


彼は泣かないよ。
恥ずかしいから

彼は笑わないよ。
卑しいふりしてるから。


彼らは、人間であることを
放棄した。パワハラをやり、

精神病院にいるように暮らす。



そんなニュータウンの
顔、顔、心、心、声、声。




🖊️鈴木霄






DSC_3556





母は、長く新宿でマッサージ師をして
いた。つまり、身体を触る、施術する
仕事だ。


だから、母には人さまの身体の特徴や
骨の造りが見える。と思う(笑)。


私は、治療院にいて生後から育ち
病院の真ん前にいて、歌舞伎町の
繁華街にいた。

その治療院で見てきた、習ったことは
人は、みんな身体の骨組みや皮膚が違う
ということ。遺伝子とは正直である!?



題名が面白い。訳知りにご紹介するとー
「こつ」と「スランプ」の研究?


「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の
認知科学 (講談社選書メチエ)
という。










ー説明ー

✒️内容紹介

自転車や車の運転から水泳、ゴルフ、
仕事のやり方まで、「身体がおぼえる」、「こつをつかむ」、あるいは「スランプに陥る」のは、誰もが経験したことではないでしょうか。

本書は、そうした「身体に根ざした知」=「身体知」と、「身体知を学ぶ」とは一体どういうことなのかを、イチロー選手なども例にとりつつ、認知科学という立場から解明し、更に「身体知の研究はどうあるべきか」について明快に論じます。

こつをつかむにも、スランプを脱するにも、「ことば」が重要であるらしいことがわかってきました。
〈からだメタ認知〉という概念をキーワードに、身体とことばの共創をめぐる最先端の研究を、わかりやすく紹介します。


✒️内容(「BOOK」データベースより)

内角高めの球を打つ、料理の火加減を
調節する、説得力あるプレゼンをする…スランプではことばが増え、こつをつかむと体感で御す。「からだ」の学びに、なぜ「ことば」が必要なのか? 身体知の解明に挑む、認知科学の最前線!


✒️著者について

諏訪正樹(すわ まさき)

1962年大阪生まれ。
慶應義塾大学環境情報学部教授。工学博士。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。(株)日立製作所基礎研究所、シドニー大学建築デザイン学科主任研究員、中京大学情報理工学部教授などを経て現職。身体知の学び、コミュニケーションのデザインを専門とする。野球選手として打撃スキルを磨かんとする実践(フィールドに出た構成的研究)から、学び理論「からだメタ認知」を提唱し身体知を探究してきた。共著に『知のデザイン――自分ごととして考えよう』、『一人称研究のすすめ――知能研究の新しい潮流』(ともに近代科学社)など。















「こつ」で考えると言えばー。


母は、編み物が得意だ。

デザインは無視。つまり、あんまりデザイン
画には影響されてない。編みかたは、自身が
知る編みかたを駆使し、デザイン画が無い
ところでイメージし、編み上げていくのだ。


レース編みとか。毛糸も使って編んでいる。


編みかたを、いつ誰に習ったのか?
科学したのか、いつデザインを考えるのか。

計算をすると、どう計算するのか、だ!?
「こつ」があるのか、母は編むのが早い。


本人は、指のリハビリだと云うが…。
肩こりには成るし、腕は疲れたりする!


しかし、母には編み上げかたが他人とは
明らかに違うイメージがあるし、出来ると
「見たことがない商品」に見えるのだ!?


「こつ」は、うまくなることへの探究や
科学的な「創作力」は、母には何がある
のかは分からない。人より達者なだけだ!


人間が持つ「無くて七癖」とは、不得意や
不都合も介在する。


「変化球」を投げない、投げれない投手
やら。指が短いと、そこでは「フォーク」
が投げれない場合も。人差し指と中指とが
開かないと、ボールを投げれないのだ!?


江川卓さんは、「フォーク」を投げない。
「こつ」の問題ではない。身体的理由だ!


打者とは、
「スランプ」だから、と言って打てない
訳じゃない。「フォーク」は、いきなり
打者の手元で、ポトンと落ちる変化球だ。

その武器を、江川卓さんは使えなかった。


だから、速球で磨きに磨いたコントロール
だけが頼りの、豪腕投手だった。投手には

「シンカー」や「カーブ」もある。しかし
「スライダー」もあるのに、指が使えない
人には、変化球は難しい。「こつ」なのか。


身体の仕組みは、平等ではない!
しかし、スポーツのルールとは平等だ。

厄介なスポーツになると、不利な人が
いる。足が短い、手が短い、指が短い等。

身体的な理由から、スポーツに向かない
人がいる。反対に優位な人がいる。それは
「スランプ」には関係が無い。例えばだ?


医学者でも、血が見るのが怖いからと
外科医や解剖医になれない、ということ。

コミュニケーション能力が低いから(笑)、
内科医になれないとか。男性不信だから
産婦人科医師になるとか。「スランプ」
ではない。

「苦手」とは、身体が避けるのか?


たまに、母には編み物への「スランプ」
というのが発生する。身体が嫌がるのか
「乗らない」らしい。そんなもんだね。




🖊️鈴木霄


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人間には
「お父さん」や「お母さん」がいる。


お店や、お客さんもいる。
ある場所でしか存在し得ない「言語」。

「いらっしゃいませ」「ごきげんよう」
「おこしやす」「ご贔屓に」等々…。


「買ってく?」「お取り置き」、
「お待たせ致しました」等々…。


「ありがとうございました」
「またどうぞお越し下さいませ」と。


百貨店、商店街、スーパー、銭湯、
ホテル、旅館、映画館。病院。


人には「行かない場所」があるし、
「行きたい場所」があり、「得意」や
「不得意」もあり、「行きたくない場所」
なんかがあり、「いつもの」なんてこと。


佐藤B作さんは、早稲田通りで
奥さんのみちこさんと、カフェに行って
店員さんに、「いつもの」と言っていた。

奥さんが、
「あんた、この人に分かるわけないでしょ」
と言った。あめくみちこさんだ。B作さん
行きつけだったらしい。高田馬場ではね。

ご夫妻は、私の前にナランデイタ(笑)。


しかし、「いつもの」とは普通は言わない。
私は言わない。何回も通ってるカフェでも
「いつもの」とは言わない。それを、

B作さん、「いつもの」と言った!


人間には、「勝手知ったる」ことやモノ
がある。私には、沢山たくさんあるー。

歌舞伎町育ちの私には、沢山ある!?


私を育てた、大正3年生まれの
治療院の院長は、トイレを「ご不浄」と
言った。昔、新宿通りにあった「赤線」
について話していた人だ。父が育った街。


私の幼なじみは、歌舞伎町で商売をして
いた家庭の子供たち。お菓子屋、寿司屋、
床屋、旅館、本屋、鶏肉屋。

そんな中で、「言語」は大都会は新宿の
街の中で「生きていた」し。「救急車」は
毎日、朝から晩まで見ていた。病院の前だ。


「公園」の近くに居た。病院の隣に在る。

だから、乳幼児の頃は公園に年中居た。
庭が無い、病院の庭か、公園が庭だった!


それは、人が「玄関」を使うように
私には、常に、鍼灸で使う消毒薬の
「アルコール」の匂いは存在している。


「白衣」は毎日見てるし。救急車は毎日
目の前に居た。言語は、医療の中に居て
「いのち」については知らなかったが、

赤ちゃん時代から「医学」は目の前に
あった。「いつもの」救急車、「いつもの」
白衣、「いつもの」アルコール。その言葉、
その環境は、私のバックボーンになった!


人は、暮らして、生きている場所で
「言葉」と繋がり、ご贔屓になることや
モノに繋がり、「自分の世界」に生きる。


「歌舞伎町」を知ったのは、生後から。
親は、私が生まれる前から新宿に居た。


「ヤクザ」「ホステス」「風俗」
「映画館」「噴水」「コマ劇場」は
日常的な言語に繋がり、「仕事」は

私の周りに居た大人の、居場所だった。


「治療」「アルコール」「鍼」「車」
「送り迎え」「しもたや」「お客さん」
「肩こり」「腰痛」「温灸」は、生後に
話し出したワード。私の生きてきた場所。


人間には、「話さない言葉」がある。
「知らない世界」もある。私の言語は
「歌舞伎町」にあり、「医療」にあり

親の「仕事」にあり、それか言葉を話し
出した頃から、生きてきたモノである。





言葉とは何か (ちくま学芸文庫)
丸山 圭三郎
筑摩書房
2008-04-09





ー説明ー

🖊️内容(「BOOK」データベースより)

言葉とは何か?

根源的で正解のないこの問いに真正面から取り組んだ、もっとも明晰な入門書。記号学・言語学研究の第一人者である著者が、言葉という永遠の謎に迫る。言葉はものの名前ではない。“表現”であり“意味”である。では“意味”とは何なのか―ソシュールをはじめとする言語学研究の軌跡を紹介しつつ、具体的な例を駆使し、平易な語り口で、伝えがたいことをできるかぎり噛み砕いて解き明かしてゆく。言語学、記号学、ソシュールに関心をもったとき、まず最初に読むべき一冊。述語解説、人物紹介、参考図書案内付き。



🖊️著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

▫️丸山/圭三郎 ▫️

1933-93年。東京大学文学部卒業。

中央大学教授在職中に逝去。フランス文学・言語学・記号学専攻。ソシュールの原典の精緻な読み解きによって、ソシュール解釈に新地平を拓く一方、言語と文化をめぐって独自の思索を深め、日本の思想界に大きな影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





生命と過剰
丸山 圭三郎
河出書房新社
1987-11



文化のフェティシズム
丸山 圭三郎
勁草書房
1984-10-15










日本全国、共通は

「犯罪者」「警察」「自民党」「共産党」
「公明党」「創価学会」「病院」「政治」
「医者」「駅」「バスターミナル」「家」
「友達」「先生」「政治家」「子供」等々。


「西郷どん」を見ていて、違うことから
愛嬌や哀愁や刹那や嘆きや憂いや至福や
不幸を識った。


言語は、確かに違うし地方都市に
繋がらないと、会話すら加われない…。

誰もが同じ言葉を話せないし、発して
居ない。誰もが同じ意味に生きてない。


誰もが同じ地域に暮らしていない。
人は、自分の発する言葉を、他人から
知られたくないと「隠語」を発する!


専門用語や、バックヤード用語だ。

手前どもの言語は、「隠語」でしかない。
世俗に、大多数に繋がらない言葉です。

「世の中」や、「社会」や「第三者」や
「常識」や、「他人」からは分からない、
「見えないこと」や、繋がらない為に存在
する言語に、「隠語」があります。人には

他人と繋がらない為に、人に分からない
立場にいる目的から、業界用語があるし。

「自分たちの世界」を示す語録もある。
第三者に分からない、知られていない、
繋がらない目的から発する言葉があります。


精神障害者や、宗教や病院や仲間内や
芸能界や、アパレルや百貨店やスーパー、
株式市場や、メディアには独特な言語が。


「自分たちだけの共通用語」や
「他人や世俗に繋がらない言葉」がある。


そこに居て、そこで意味不明な世界を誇示
してる人がいるが。自分の世界とは他人に
繋がらない「かくれんぼ」がある。仮名や
偽名の、「居なくても困らない顔」の人が。

人と繋がるのは、本名やペンネームや
戸籍や住所だ。第三者や社会や官庁や
政府に、言葉を分からなくすると(笑)

その世界にしか生きれてないみたいに
見える。人は誰もが他人になれる。


誰もが、繋がる人としか「会話」には
ならないし。隠語は、他人から自分を
隠すかくれんぼ。


専門用語は、言葉のかくれんぼ。
人間の仲間同士だけの、合言葉!


合言葉を使いすぎると、天皇陛下や
政府に繋がらない。日本に繋がらない!


「意味不明」は、人間を辞めた人たちの
嘘や偽装の隠れみの。隠語の怪は、

隠語の海で溺れないでね。迷子の迷子の
名無しさん。人間でない名無しさん!?





✍️鈴木霄



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


とんでもない、「危ない境地」にいる。

木村敏という名前に遭遇してみると、
「やられたな」と思わされるー。


「厄介なんだな」と。

「あいだ」とかね(笑)。


私に「言わせてみたいぞ」と言うような、
私に対して、「分析しなさんな」と言う
顔が、本につけた題名からも分かる。

「私に似せた知能が、生み出すsubject」
なるものを突き付け、なるほどなと…。


あたかも「前世から知り合いなのか」とか、
私に「お前さんは、誰になりたいのかな」と
言われてしまいかねない微妙な世界を見せた。










この本は、私の
12歳の頃に初版で、何かを「見過ごした」
ような黄昏を感じる。早く読みたかった!


人間は、「歩きたい場所を歩いている」
はずなんだ。しかし、歩かされてない時に

「歩いたふり」や、「知ってるふり」が
ある。「未知」には繋がらないから、常に


「知ってるつもり」や、「分かるふり」が
ある。そのふりを見ていて「野暮な逸話」
だとか、

「決まりきった挨拶」を知らない人間に
遭遇し、精神科の患者を見ることになる。


そのドラマは、実は
「無いものを在るかのように表現」する
人々が、「主人公ではないふり」をする。

「実は狂ってる」ことをアピールするし、
「実は大嘘つきである」ことを恥じては
いないし、「みっともない恥さらし」には
繋がらないふりもある。かなりな汚点やら

「過失」や、「障害者であること」の誇示
というものと。


精神科には、「くだらない狂言」がある。
「たいしたことはないこと」とした嘘や、
「罪があるアピール」に夢中な人々の愛嬌と。


「異常であること」は、「不束」なことや
「方便によるドラマ」で存在したかのような
「言い訳したい内容証明」や「捏造してる」
現実回避と。

そこでは、「異常に見せない芝居」もある。
だから、面白いよね…って。異常を見破る
仕事や、精神医学は「dramatic」だよね。






ー説明ー

🖋️内容紹介

精神異常の世界では、「正常」な人間が、
ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。

「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より


🖋️著者について 「木村敏」

1931年、外地に生まれる。
1955年、京都大学医学部卒業。現在、河合文化教育研究所主任研究員。道元禅や西田哲学を精神医学にとりいれ、独自の人間学を提起して注目されている。著書に、『自覚の精神病理』――紀伊国屋書店、『時間と自己』中公新書、『人と人との間』『分裂病の現象学』――弘文堂、『偶然性の精神病理』――岩波書店――などがある。













あいだ (ちくま学芸文庫)
木村 敏
筑摩書房
2005-09-01






「異常精神」とは、「異なる非常識」の
寄せ集めになる。「当たり前の常識」が

機能しない、させない、分からない人々の
普通ではない、「容易く表現出来る」狂言
だけの、逸話を集めた非常識界であり、


哲学だの、心理学に繋がるふりもあるし
知らないから「関係ないよ」というポーズ
により、その世界とは「知恵遅れ」だよと
アピールでしかない彼ら、彼女たちの物語。


それを分析、解析するならば、「間」には
見えるような錯覚がある。見た目に存在を
していないかのような「デモ隊」みたいに、

「どこにでも馳せ参じる」が、居なくても
居ても、仲間以外には知られてない役割や
その他大勢な、タレントぶりがある。


「精神異常」には、異常である同形思考と、
「異常か異常でないかを分からない」顔と
しか繋がらない世俗や、新興的団体活動が
ある。分かりやすい「無分別なる人」たち。


木村敏という名前から、見つけた知的財産
にも成りかねない本の題名は、読まずに
「ありがたき良識」と、「人間らしさ」
への扉に成りました。


たった1日で
訳知りに、木村敏先生の厄介さを
私は知った気になりましたとさ(笑)。


人間、長生きすると厄介な「異常構造」
には造詣出来る、ということらしい。

造詣が深く、深く成りましたとさ。


多摩ニュータウンの「精神病」の顔や
人々から、私は知的財産を増やしてく…。

増えすぎるわ。



✍️鈴木霄でした…


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


手。


👍 ✋ 👊 ✊ ✋



手というのは、印象が変わる。

手は、職業でも表情が変わる。
手には、仕事が表れたりする。


作家や漫画家なら、ペンだこを
中指につくる。

美容師や理容師には、ハサミを持つ
手に、たこが出来る。

野球の投手には、指先に血豆が
出来る。バッターにもマメがある。


マッサージ師を長くしていた母には
親指の軟骨が飛び出し、大きく関節が
肥大しているし。明らかに職業の象徴。


仕事や、生活環境は、指や手に表情を
生み、その人の仕事や日常生活の習慣が
顕著となる。神は、人間に両手を与えた。

その手は、その日常生活の仕組みや
人間に〈生きるすべ〉を生んでくれた。


そんな〈手〉には、色んな風景や
様々な心理や、あらゆる性質が表れる。





image





という訳で、医学書院から面白い本を
見つけたので、記載してみよう。






訳:岡本 保
シリーズ編集:山鳥 重/彦坂 興秀/
河村 満/田邉 敬貴

判型 A5頁 272発行 2005年05月
定価 3,888円 (本体3,600円+税8%)
ISBN:978-4-260-11900-9


書評

『表情を解剖する』に次ぐチャールズ・ベル
の名著発掘第2弾。ヒトのヒトたるゆえんを
「手」に象徴させ、手の比較解剖学的検討
から、その生理的、解剖学的な機能とその
広汎な作用を自筆の多数の美しいイラスト
とともに供覧する。

ダーウィンの「種の起源」に影響を与え、
進化論の誕生を促した古典中の古典。




手 (神経心理学コレクション)
チャールズ ベル
医学書院
2005-06-01






書評者:長野 敬(前・自治医大教授)

 脳は文字通り神経系の中枢であるとしても,
周辺,末梢がなければ何もできない。切り取ら
れた脳だけがいろいろ考えるというのは,手塚
治虫の漫画にもあるし,陰気くさい小説もある
(ヤシルド『生きている脳』)が,どちらでも
筋書きは受動的に進むことしかできない。

眼は,口と同じくらい「ものを言」ったり
するかもしれないが,物理的な表出手段と
して,人間の場合に「手」より以上のものは
ない。単に物理的どころか,精神的なものも,
手には反映する。 

 チャールズ・ベルの『手』は,「ブリッジ
ウォーター叢書」の一冊として刊行された
(Sir Charles Bell: The Hand, Its Mechanism
and Vital Endowments, as Evidencing Design.
1833)。叢書の呼称に,わざわざ
「創造に示される神の英知と善を説くための」
と書いてあることからもその趣旨は明らかだ。

王立協会会長からの執筆依頼は名誉なこと
だし,1000ポンドずつの印税もわるくないが,
ベルはこうした不純な動機から書くのでない
ことを,冒頭でまわりくどく弁明している。

「ある主張をしなければならない場合,
それが偏見によるものではなく,自然な
感情の表明であると知っていれば,人は
その意見にいっそう容易に耳を傾ける
だろう」
つまり,ここに展開する議論は以前から
あたため,発展させていた立場からのもの
で,自分の「自然な感情の表明」であり,
「叢書」に賛同して提灯もちをしているの
ではないから,ぜひ「容易に耳を傾け」て
もらいたいというのだ。その立場は,副題
の最後の「設計(デザイン)を証拠立てる
ものとしての」という一句に集約されている。





目次


第1章
人間の手 序説 

第2章
地球の変化と生物の適応 

第3章
手の比較解剖学 

第4章
筋肉,その優秀な機械装置 

第5章
手の代行器官 

第6章
器官の比較解剖学 

第7章
痛覚の働き 

第8章
触覚と一般感覚 

第9章
筋感覚と触覚 

第10章
人類の進歩と手の力 

終章  
手と眼-動物と人間の比較解剖学 


✒動物の分類 
✒手,その多面的アスペクト 
✒座談会 表情を読む




もう1冊、おまけは…。









楽器を弾く手にも、面白さがある。

角松敏生の周りにいるアーティストの手。
見ると、面白いことが分かる(笑)。


角松敏生がギターを弾く手は、なぜか
安全地帯の武沢さんの手にそっくりだし。

鍵盤奏者の小林信吾さんは、カラダに
似合わないくらい女性的な手をしている。







✒️ 2016, 8, 1 記にて






「手」は、口ほどにモノを言う。

その手とは、左右で表情か違い
「やるべく動作と役割」が違う!


私は、乳がんになり
腋窩リンパ節郭清を体験し、初めて
両手、両腕、両肩のバランスを自覚。

カラダは、両左右の機能を備えずして
歩行や、生活すら不自由になるのだと
体感した。乳房を摘出した側で不備を、
不自由を体験し、実感する!


↑このページのトップヘ