ー2022年5月27日ー



母に

もう会えなくなる可能性から、病棟から
午後に、連絡をもらい、会ってきた!


母は、

母の妹が勤務していたことになっていた病棟の
方に今日は移されていた。母が救急搬送された
日の深夜、隣の病棟にいたナースは、

私の叔母みたいな声色で、話し方。確かに
母の妹役(木村英子の関係者をぶる役の人)!


私が
病院から連絡もらい病院行くと、前は母の妹に
似てしまうくらい、浅田美代子ちゃんぶりに
なり母の妹のふりに見えたりしたが。今日は

さすがに、母の妹には似てなかったらしい私!


記憶を無くしていく母の為に、母が編んだ
レース編みのマフラーと、母の時計を腕にはめ
母に、病院に会いに行った。ナースから、夕方

「後悔したくなかったら、短時間だけ会って
下さい」と電話をもらい、5時30分くらいに
多摩センターからバスに乗った。



母が、
痩せ細り、ベッドで話が出来ないまま
病室で寝ていた。母に話しかけてみたが。


母は、自分の父親
祖父に似てきた。自分の父親に似てきた。


山縣有朋が分かる人なら、母を今日見たなら
「ハギワラは、山縣有朋の血」だと分かるよ。



明治天皇に仕えていた、総理大臣の山縣有朋。
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写真は、2001年10月31日、箱根ベゴニア園にて


生前の萩原美江と、母と。撮影は私(チセイ)。


亡き大叔母(母と同じマッサージ師、故人)の顔と、
自身の父親、祖父を憑けたみたいなイメージに
なり寝ていた。痩せてガリガリになり会話には
ならず。


しかし、何度も「ママ、ありがとう」と
言うと、「ありがとう」と言った。

「フサコちゃん、ママ」と呼ぶと、反応した
が。私が、自分の名前を話すと黙っていた。


写真の中にいる祖父の妹(源氏名、百々香)と
祖父のミックスになり、痩せて萩原家の体を
見せていた。母は、私を視れない!?


4月10日、母に「頑張るんだよ」と言ったら
「分かってるよ、頑張るよ!」と言っていた。
父を、別れた自分の元夫の霊体を憑け言ってた。

そして、翌々日(もうダメだろうと思っていて)
病院に呼び出され、自分の誕生日に病室で
先生に許可もらい会った。今日は、3度目。


4月12日に、「何かお祝いしなくっちゃ」と
パパみたいな顔をし呟いた母が、今日は祖父
さながらに見えた。山縣有朋に似ていた。


「頑張ったね、よく頑張ったね」と手を擦り
「もう帰らなくっちゃ」と、面会を短時間と
言われていたから、

母には「帰るよ、ヒロちゃんは帰るからね」と
言って、「ママ、宏枝ちゃんはお家に帰るよ」
と言って、私は帰ってきた。



母のふりが多摩ニュータウンにいて、

出歩き
スタスタ歩くが、母の若い頃の身体つきに
似せていた。その70歳前後は、5月10日に
永山のバスターミナルから貝取に行った!

バスターミナルにいた、母の生き写しは
私を視たが。私を見て、困った顔をした!?


母が、5月9日に病棟が変わるから、と
知ったのは、私が9日に病棟に電話をかけて
連絡をしたから。その日に、病棟が変わって

違う病室になってから、面会可能になったら
電話をくれる、としていたが、やっと本日
(27日)両親の結婚記念日の今日、病院から

連絡をもらい会ってきた。時間の限りが
あるから、と連絡をくれた。


15分くらい一緒に居られた。右手だけを
ナースに手袋を外してもらい、母の手を
握っていた。



18時15分、病院発のバスで病院を後にし
帰った!


母の甥のふり、私の従兄の正己のふりは、
病院に繋がる役をし、武豊に似せる役。私には
会わされるが、認知症らしい。金石班ぶる配置。


バスに繋がる役。中島家を知るふりは、金田や
金石をぶり、ハギワラに押し入ったチグの役で
紫依存に繋がる犯罪グループが、武豊の親族の
ふりをする。


北朝鮮役にいる多摩センター依存が紫のふり
内丸もと子といた容疑者らしい。チセイには
似てない犯人が、ハギワラにアピールしてる!


オカマが、自民党家庭ハギワラにすがり、乳房が
胸が無い女装が、角松ぶる強盗、犯人女装アヤ!


金石をぶる大男は、ハギワラに成り済ましたシオ。
多摩センターにすがり、武豊に似せる男や強盗に
繋がるアピール。グループをぶり、アピール。

美江に繋がる被害者スズキソラに自供する小さな
目の金田は、死刑執行の男。大谷翔平の父親似が
ジンナイアキトの死刑執行アピール。中島役とPR。


多摩市に萩原家のふりや、母のふりがいるから
私は、ベッドの母の腹部と、乳房を見てきた!



2022年1月25日、母はまだ
こんなにふくよかな身体をしていた。

洗濯好きで、洗濯をしていた。が


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ふらつき、ベランダに立てなくなり洗濯を
干せなくなり、洗濯機を回さなくなり私が
洗濯をするようになっていた。その母に

父が、父の霊体がいて口やかましく洗濯には
注文をしていた。洗濯機の水のことだのと?


病院で
母の耳を見てきた。母は、福耳をしていたはず。


確かに乳房は(下垂し、巨乳でなくなり)、母の
乳房だ。母の乳房を、乳頭を私は確認をした。
が、ベッドにいた母は、爪を伸ばしていた!


爪が厚く、延びていた。が、母の爪は薄いんだ。
柔らかく、少し延びたくらいですぐに割れたり、
剥げやすい。母の爪に似てないくらい頑丈に
見えた老女。母が、別人に見えるのは何故?

耳たぶも、母よりふくぶくしくしてないのだが。
祖父に似ているが、母には似てないみたい!?


ベッドにいた病室の母は、自身の叔母、美江に
似てきたのだろうか。山縣有朋の血縁たる証は、
上顎の出歯。目立つ!



今日、父と母の「結婚記念日」に、海軍記念日に
犯人の関係者を、病院外で見てきた。私の従兄を
ぶり、犯罪自供にいたドライバー。中島をぶる男。

細い目、小さな目の犯罪者はスズキソラに自供!


18時13分頃、バスの前を通りすぎた紫色の服を
着た看護師役も、キテレツ犯罪、強盗に繋がるPR。
巨漢。背中の肉づきは、武豊や鈴木に似てない女!


強盗は、スズキソラに繋がらない自供にいた。
巨漢の背中、紫色した服で病院に繋がる役の
50代役。スズキソラを知らない犯罪のタツカワ。


スズキソラの同級生にいた、城ひろあき役が、
強盗ナカムラアヤの夫だったアピールがある
金曜日。

母の悲しみと、私の出生とが、光を最後の
答えを得た。スズキソラに繋がらない犯罪が、
スズキソラを見えない、分からない。低級霊。


多摩市で、
角松敏生の名前を言えないと、犯罪自供の
チグをぶり、容疑アピールに働くふり劇!

受刑者は、チグハグな精神障害の女装犯罪と
繋がるカノウチや、カネウチのふり。鈴木を
知らないと、紫色を着て犯罪者に拉致された
家庭のイメージにすがり、アピール。



母は、新宿の国立国際医療センターで、
1999年11月から、2000年3月まで入院し

子宮がんの治療を受けた。担当医師は
産婦人科医の小石麻子、放射線科医の伊丹純、
中島香織、柴田幸司、有賀隆医師。その母が

原発で、肺がんを発症させ(2007年5月28日手術)
治療は、都立府中病院の胸部外科の小原徹也、
笹野進医師。これらの医師名に助けられ

母は、2度のがんを克服した。医師たちに感謝
する。また、

国立国際医療センターの9階北病棟にて 1999年、
2000年に母の入院中に母をケアしてくれたナース、
放射線科の高橋さんや、9階北病棟の佐藤、岩崎、
鈴木、梶原さんに感謝致します!


84歳、記憶が無くなっていく母の姿と、母の
嘆きに、「ママ、ごめんね」しか言えない娘です。

7回の手術、自身の手術体験で生きた結果の今、
母から「もう子供役は、卒業だね」と言われた
気がした。話せない、殆ど口を開かない母に

「ママ、ありがとうね」と言ってるだけの娘!

歌舞伎町や、都内の一流ホテルでマッサージ師
だった母親と、母ひとり子ひとりで生きた私の
61年は、両親が「海軍記念日を結婚記念日に」
と、ワガママを言って結婚した父の人生と

西堀栄三郎の「真空管 ソラ」が、鈴木家の
祖母の血に表された、私の摩訶不思議な出生が
私の肉体が、西堀栄三郎に似ていたことにより
ドラマは、私をうちのめし、育ててくれていた。


2000年、自身が乳がんを発症させていた中で
要介護4の母の叔母と、子宮頸がん3bで生きた
母と、闘ってきた歳月は22年でした。私は生きた。


ママと別れなくてはならないが、私はまだ
自分を生きなくてはならないのか、人間は冷たい!







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 1993年11月9日、鵜戸神宮にて。母



追記


母は、2月半ばから嘔吐が止まらなくなり
高血圧だった母が、低血圧になりだした。


身体は、乳房は

ふくよかなグラマラスだった身体が、母の
乳房は、下垂をし身体は腹部はがん化から
膨らみ、巨大化して節々は痩せてきて
目立ちだした。


2月後半から、部屋で歩けなくなって
いった。部屋を歩けないまま、離人した。


れいわ新選組の木村英子が、母に
憑依していた可能性がある。


視力は、2014年までは遠視、老眼だったのに
母は、2015年くらいから近親になってた!


その母は、母の顔の生き写しが多摩ニュータウン
にいて、キャスター付きの荷物を持ち歩く老女。

しかし、私を見て顔を見るなり困った顔をした
70代後半から80歳代の女性。母の目に似てた。


病院にいる母とは、4月12日からひと月半
会わされてなかったが。変わらず。しかし
話せなくなっていた。


顔が、イメージが祖父や祖父の妹に似ていた。

別人みたいで、不可思議な気がしたが、母の
名前には反応している。ふりが、母の霊体と
いた永山にいた老女なのかな。


1959年から、新宿でマッサージ師をしていた
母。その母の手を探す。成り済ましなんか
すぐに分かるはずなんだが。



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人を沢山癒し、施術してきた手は
指は、軟骨だらけの節々で、働いた手。


何度か闘病をしたが、1959年5月から
2007年まで、働いた手をしている。

その国家資格は、多摩市で保健所登録を
してある。生きた、生まれて生きて働いた
証を、母は手にした。その人を忘れない!



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生きたこと、
1961年4月12日、午前零時28分

胎盤早期剥離で、重症仮死で生まれた私。
乳がんもやり、子宮内膜症と子宮筋腫と
卵巣嚢腫と、副鼻腔腫瘍乳頭腫とをやり

7回の手術をし、生きた私がママに
ありがとう。84年間、生きてくれて
ありがとう。


パパの娘を、産んでくれてありがとう!