✒️2018年4月14日/記



多摩市で、

発達障害や解離性障害を知った。
人は、『知らない世界』にいて

『繋がらない人』たちにより、人間社会
というものが、成り立ってしまうことが
ある。


偶然に知りました。『深く考える力』
という本。多摩大学に繋がる人物が
書いた、とされる本。


人間の日常からは、見えにくい場所に
『工学』や、『理学』があります!


要するに、家庭生活や育った環境により
『繋がらない』場所や、『繋がりにくい』
世間が、存在します。当たり前なことだ!


同じ電車の中に乗る乗客全てが、自分に
繋がらない人でも仕方ないし、また

同じ駅のホームにいても、人とは
必ず同じ目的地に行くわけではない!?


人間には、『自分とは誰なのか?』や
『自分の本当の名前』でなくては、

自分を生かせない、自分を存在させられない
場所というものがあるし、『ほんとの自分』
を生きていることにより、

人ひとりひとりが、人間生活が円滑に動き
機能することがある。『何処に居るのか』
と、自らに問いかけること無くして


人間には、『自分を生きる』というテーマや
社会の中で『生まれた時からの体験』を把握
して、またそれを検証することでしか人間は

『今』という風景、『暮らしてる部屋』での
日常を、その機微を表現することは難しい。


昨日の自分と、明日からの自分とは
明らかに、『今日の自分』が介在するが?

そこにある、確実に『ご飯を食べた』ことや
何処にいて『誰と何を食べたのか』という
ことは、自分でしか分からないのだ。


朝起きて、テレビで天気予報を見たり
ご飯を食べるか、コーヒーやお茶を飲むか、
『今日の予定』を考えることから始まる…。


人が、『今日のこと』を考えているうちに
誰かが、『昨日のこと』を忘れてしまう
ことや、『明日の予定』を思い出したら

自分の知らない世界は、人知れず機能し
生きていく。何処かにいる『知らない人』
たちにより、世の中はうごめいているのだ。


それを、『何処かにいる自分』が知らない、
分からないことだとしても、人間は実際に
困らないし、不都合ではないだろう。


そんな人々に、『分かりやすい』ことでは
なく、『分かりにくい』ことを人間社会は
常に提議し、常に『社会』として姿を露に
して、『考えること』を与えてくれた!






深く考える力 (PHP新書)
田坂 広志
PHP研究所
2018-02-17






―説明―

✒️内容紹介

緻密に論理を積み上げていく「論理思考」は、思考の初歩的な段階にすぎない。「深く考える力」とは、論理思考とは全く異なる思考のこと。

それは、心の奥深くに眠る「賢明なもう一人の自分」の叡智を引き出す力。では、どうすれば、その力を身につけることができるのか。

本書に載せた「5つの技法」と「38のエッセイ」を読むだけで、読者は、自然に深く考える力が身についている自分に気がつくだろう。

日米のシンクタンクで活躍し、内閣官房参与、ダボス会議GACメンバー、世界賢人会議代表などを務めてきた著者が、数々の著書で示してきた、新たな発想と深い思考の秘密を、いま明らかにする。



📒【目次より】

●第一部 賢明なもう一人の自分――
深く考える力とは、心の奥深くの自分と対話する力 

●第二部 深き思索、静かな気づき――
文章を書くこと、読むことは、思索の階段を降りていくこと 

●第三部 言葉との邂逅――
心に触れる言葉に巡り会ったとき、深い思索が始まる

内容(「BOOK」データベースより)



*著者について* 多摩大学大学院教授

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

田坂/広志
1951年生まれ。74年東京大学卒業。

81年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。87年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。90年日本総合研究所設立に参画。取締役を務める。2000年多摩大学大学院教授に就任。同年シンクタンク・ソフィアバンク設立。05年、米国ジャパンソサエティより日米イノベーターに選ばれる。08年世界経済フォーラム(ダボス会議)GACメンバー。10年世界賢人会議ブダペストクラブ日本代表。11年内閣官房参与。13年全国の経営者が集い「7つの知性」を学ぶ場「田坂塾」を開塾(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)








考える、ということから
『自分とは何者か?』を問う練習は

『自分らしさ』だけではなく、今の今
『何をしているか』を問うようになる。


『人間なんだから、間違いはあるさ』と
己を慰めることを得意にした人々なら、

『人間には、善悪が分からない』とか、
『善悪を推し量ることなく生きること』
にだけ、

人間社会とは、『仏教』とか『哲学』が
存在してきたのかも知れないし。学ぶと

『考えすぎた』なんてことはない。


『分からないこと』に悩むのに、人間は
『屁理屈』を集めたふりをしてる。が?

『分かるふり』に、人間とは『屁理屈』を
こねる器用さや、知恵は機能していない。


他人は、『分かるふり』をする時には
『分からないこと』にだけ、頑張ったり
威張るんだ。『有難い』なんて言わない、
『有難い』なんて考えてない人間たちが


『発達障害』だから、成長したふりをし
分かるふりをするが。『知らないこと』に
だけ、『分かる』顔をしている。人間とは

『分かること』には、『分からないこと』も
介在してきたことや、自己分析したり、また
『分かるけど、それは不確かなんで』と必ず

前置きをし、言い訳や言い分にする。見栄を
張らないので(笑)、律儀に『申し訳ない』と
した前置きがある。


優しい人には、『地味なんですよ』と
質素やことをイメージさせ、高飛車な人には
『あなたには敵わないが?』とお伺いをたて、

仲良しなら『いつものことです』と笑って
誤魔化す。『考え癖』をアピールしないと、
『考えないタイプ』には繋がりにくい。


『考えないタイプ』は、『考えている人』を
けなすが。『考えていないこと』を言い訳に
しない。むしろ笑って

『考えすぎるんだよ』と、考えるタイプを
嘲るような、何か楽天ぶりを発揮するの
かも知れないんだな!?


『生きること』を、『考えずに生きる』と
『笑うより嘲る』ような、訳知りになる
のかも知れないが。それを、エホバが

東京のニュータウンに、デザインを描き
『考えなくて済むこと』をイメージした。


『考えない罪』や、『学ばない気楽さ』や
『見えにくい現実』や、『後ろ向きな明日』
にしか繋がらないアングラみたいな様相が
ある。


『ビニールを敷いたテントよりマシ』という
芝居をやる。四角い入れ物には物語が無い!

物語は、コンテには活路や未来が無かった。
『精神医学』には、『台本』があるように
見えない。『嘘』や『猿芝居』だけ!


人間、『考えなきゃ自分を生きられない』
という『黙示録』があるんだよ。ほんとの
本音。人間稼業ね、自分は『考える』もの。

考えないと、歩けないんだ。
自分の人生はね!?


考えないタイプが、震災が起きた日に
仕事先から、帰れなくてショックを受けた。

考えずに生きた人が、電車が止まると
自分の居場所が分からなくなる、という。

駅のある場所と、部屋と、仕事場しか
知らない。路を知らないんだそうだ!


考えずに生きた人は、震災が発生したら
家が、仕事先から何キロ離れていたか
分からなくなるらしい。


人生とは、
『考えてるから歩ける』んだよ。



ついでに、補足すると

田坂広志氏は、血縁か否かは
分かりにくいし、多摩大学に本当に
居るのかどうかは、分かりにくい!?


居たから、似たふりには遭遇してる
かも知れない、が。親族のふりか否か、
というより(似通ったイメージは)存じて
います、というふりは言わないけれど…。

仕組みは、あるかも知れませんね?




🖊️ 宏枝